川奈ホテルの冬 繁岡ケンイチ(繁岡鑒一) |
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ホテルレビュー1953年12月号より |
宣伝用語に使われる常春とか、常夏ではないが、ここはいつも暖かくて、暮らしやすい、一冬に霜の降りる日は数日しかなく、雪となると殆ど降らない。稀に降っても地上に落ちる頃には雨になってしまう。 こんな具合だから自然と話も暖かくなってしまう。 其の一 国産大砲試射祈念の地 厳しい肩書き月の表題となって恐れ入るが、これは現在の富士コースのあるエキストラグリーンの場所、つまり十二番ティーグランドの隣、海岸寄りの一帯がこれである。 当時の科学者にして有名な伊豆は韮山の城主江川太郎左衛門氏鋳造するところの大砲第何号をこの断崖上に据付砲口を太平洋上にとって第一弾を発射したのである。 ところが何が原因であったか、煙硝が足りなかったのか、砲口を飛び出したまん丸な砲弾はどすんと地響きをたてると共に地上を転がりだしてすぐ前の断崖から大洋に落っこちていったのである。 江川氏は勿論の事立ち会った面々の心中察するに余るあるものがあったろう、がこうした尊い経験がやがて我が国兵器の飛躍的発展の礎を築いたに違いない。 なおこの砲丸に依って半壊となった岩礁は今なお当時のままの形態で大洋に洗われて居るからやがて歴史的記念物として取り上げられる事であろう。因にこの地帯は現在ゴルファーによるロストボールが落ちる 其の二 川奈岬燈明台史跡 これも富士コースの前述の場所から百メートル位北方の小台地がこれである。 風雨に曝されたまま幾星霜、伊豆石で築かれたその土台廻りと川奈部落からなる石段が苔蒸すままに残されて居る。そして石段の如きは夜毎に灯りを灯す人の足印に依ってすり減らされた跡が歴然と見られるのでいろいろな想いが湧いてくる。 燈心の淡い光乍ら沖行く舟人の心をどの位つかまえた事であろう、等々こんな事を夢の様に想い回している途端にゴルフの白球が飛んで来て近代色の強い強い色調のゴルファーがグリーンに現れた。 かくして燈明台の夢は忽ちに消し飛んでいった。 |
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